永田の元気の出るブログ

本当に普通のよくあるつまらない話しかしません。

火傷するなよ!

今日から君もトラックメイカー Vol.1

読者諸兄の中には、ダンスミュージックのクリエイターを目指している人も数多くいると思う。今回は、先月にシングル『Koenji Love』をリリースしたユースケ・ナカザワ氏に、本作を例にトラックメイキングの過程についてうかがった。


「わたしは大抵ミックスの際、ドラム、ベース、そして歌ものの場合はボーカルの順番に、音作りをしている。今回、キックはRoland TR-909クローンのMOSSTECH BD9090を使った。ドイツのガレージメーカーが作っている909のキックをモデリングしたモジュールで、実機ほどの存在感は無いが、トラックになじみやすいために重宝している。キックのコンプには定番のNave 33690を使っていて、アタックを遅め、リリースを長めに設定してアタックを強調した。ベースは、グラフィックイコライザーMXR GE1106で70Hz以下をカットし、コンプレッサーをキックにサイドチェインさせて、全体の低域のバランスをとっている。


ボーカルは今回自分で歌っているが、自宅のボーカルブースで、マイクaudio technica at4040で録音した。本当は仮歌のつもりだったが、意外によく録れていたのでそのまま使用した。


ボーカルを録音した後、急にめまいがしたため、妻の運転する車TOYOTA ZW-30に乗り、近所の病院に行った。医者には、単なる疲労と診断され、医療用ベッドTAKADA TB1009に寝かされ、点滴を射った。点滴スタンドは定番のKenom KA-7を使っていた。
家に帰り、しばらく仮眠を取ることにした。パジャマPairs PA-20に着替えて、ベッドNITTA N48278に入り眠りについた。そして、わたしはそれから二度と目覚めることは無かった。


葬儀は、わたしが死んでから二日後に、近所のセレモニーセンターで行われた。わたしは広田製作所製の棺桶KKN-30に入れられ、家族や友人達に見送られた。


わたしは生前、妻に冗談半分で、もしわたしが死んだら、葬式は式中に音楽を流し続ける音楽葬にして欲しい、と話した事がある。わたしもミュージシャンなので、人生の最後に流れる音楽にはこだわりたかったのである。もちろん、わたしも家族も、こんなに突然わたしが死ぬとは思っていなかったので、音楽葬など出来る訳も無く、葬儀は斎場の用意したオーソドックスな形で行われた。


葬儀の最後に、斎場に雇われたピアニストが1曲弾くという。家族が斎場のスタッフからリクエストを聞かれたが、従兄弟の嫁が「パッヘルベルのカノンとかいい曲なんじゃない?」と言ったため、『パッヘルベルのカノン』が演奏されることになった。


私の葬儀は、ピアニストがヤマハシンセサイザーのエントリーモデルYAMAHA MM6の、シンセストリングスで演奏する『パッヘルベルのカノン』で幕を閉じた。


式が終わると、わたしの入った棺桶は霊柩車TOYOTA E-GZG50に乗せられ、火葬場へ向かった。そして、そこの備え付けの火葬炉(型番不明)でわたしは焼かれた」
と言うと、目の前にいる霊媒師は気を失ったように深くうなだれたが、まもなく意識を取り戻し顔を上げた。わたしは、テレコZOOM H1の録音を止めた。

昔あった怖そうで怖くない少し怖い話

わたしが仕事から帰って、アパートの鍵を開けようとしたところ、鍵が開いている。どうやら、朝出かける時に締め忘れていたようだ。その朝は寝坊をしたので、急いで着替えて、そのまま家を飛び出したのである。それでつい鍵を締め忘れてしまったのだな、とわたしは思った。
部屋に入ると、トイレの方から勢い良く水が流れる音がする。見てみると、トイレの水が流れっぱなしなのである。タンク内部の水漏れかと思ったが、水洗のレバーが大の方に傾いたままなのに気がついた。レバーを元の位置に戻すと水が止まった。どうやらトイレを流した時に、レバーがそのまま固定されてしまい、内部のタンク栓が開きっぱなしになっていたようである。
ということは、朝に家を出て、帰ってくるまでずっと水が流れっぱなしだったのか。次回の水道代はかなり高くなってるんじゃないだろうか……
その時わたしはあることに気がついた。わたしは今朝、寝坊して急いで家を出たため、トイレには行っていないのである。

潜入 裏社会ルポ

暴力や裏社会との関係を明け透けに語るギャングスタラップの歌詞。しかし、そのリアルとフィクションの曖昧な境界線に、暗い魅力を感じてしまうという人も多いのではないだろうか。
今回筆者はギャング集団に潜入取材をするため、あるギャングに詳しい専門家のI氏に話を伺った。
「体長は5、6cm程度ですが、鋭い前足を使い自分より体の大きい魚やカエルも捕食するタガメは、その凶暴さから『水中のギャング』と呼ばれています。獲物に針状の口を差し込んで、消化液を流し込んで溶かした肉を吸って食べるため、タガメに食べられた生物は皮と骨しか残らない」
初っ端からあまりにも残虐なエピソードに絶句する筆者。しかし、取材のために彼らの居場所を聞き出さなければならない。
タガメは水のきれいな水域にしか住めないため、関東では生息している地域は限られています。生息場所が知られると、愛好家に乱獲される恐れもあるので、記事に実際の場所を載せないという約束ならご案内いたします」
居場所を明かさない条件、という取材制限が今回の取材の危険さを物語っている。I氏に場所は秘密にするという条件で、翌日にギャングの所へ案内をしてもらうことになった。

 

しかし翌日、I氏は待ち合わせ場所に姿を現さなかった。その後もI氏とは連絡が取れず、ついに消息が分からなくなってしまった。こうなってしまうと今回の取材もここまでである。
それから三ヶ月ほど経ったある夜のことである。筆者が床につこうと部屋の明かりを消した時、少し開けていた窓から何者かの呼び声がした。I氏の声である。筆者は驚きつつも、外の暗がりにいるI氏に話しかけた。
「Iさんですか……?最近姿を見なかったので心配しましたよ。さあ、そんなところにいないで中に入ってください」
と、部屋の明かりを点けようとすると、I氏は静かに、しかし強い調子で制止した。
「やめてください!こちらに近づかないように。私はもはや元の姿では無いのです……
あれは、あなたとお会いしてタガメについて話した日のことです。その帰り道、私は街灯の下に小さな足あとを見つけました。私は専門家ですので、それがすぐタガメの足あとだと分かりました。その足あとをたどって行くとマンホールの下に続いており、地下道に降りて、さらに2、3日歩き続けると、気がついたら私は「タガメの町」にいたのです。
周りには沢山の巨大なタガメがいたので、私は人間とばれないようにタガメと同じように生活をしました。三ヶ月ほど経った頃、私は隙を見て逃げ出しましたが、私の姿はすでにタガメのようになってしまっていたのです。タガメの町で何ヶ月も過ごしたから……もう手遅れ、あと数日で私は完全にタガメになってしまうでしょう」
筆者は「Iさん!」と呼びかけ窓を開けたが、もうすでにI氏の姿はなかった。

愛犬が亡くなった

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昨日の昼過ぎに愛犬が亡くなってしまった。

 

僕が16歳の頃に家にやってきたと記憶している。

 

学校から家に帰宅すると可愛い黒い塊が、

こちらを見ながらキャンキャンと鳴いていた気がする。

名前もすでにちょびと決まっていた。

 

その前にシベリアンハスキーを飼っていたが、

その2年ほど前にそちらは亡くなっていて、

外で飼っていたので一緒に寝たりできなかったのが少し寂しかったもので、

小型の豆芝がきたときは内心とても嬉しかった。

 

小さいころのことはもうほとんどすでに覚えていないが、

犬用のソファの中で丸くなっている可愛い姿は今でも少し思い出せる。

 

可愛くてイタズラをしても僕は全く怒れなかった。

家族はティッシュを人箱引っ張り出して散らかしているのを見て

怒ったりしていたが、僕は一切怒らなかったからか、

怒られるといつも僕の横にちょこんと座り、

怒る家族を見つめていた。

可愛い・・・・。

 

まだ幼い頃に、ドッグランに連れていったことがあり、

そのころに他の犬に思い切り噛まれてしまってから、

それがトラウマでずっと臆病になってしまい、

誰彼構わず思い切り噛むようになっていた。

 

家族が噛まれた時なんかはそりゃもう本気で噛まれるので、

親も本気で怒り、ちょびは小屋に逃げ込んでウーウー唸っていた。

僕も何度も噛まれたことがあるが滅多に怒ることはしなかった。

噛まれても痛いのを我慢して犬が安心するまで噛ませたままにしていた。

落ち着いてきたら口の中に指をいれて口を開けさせ、

傷口を見せて痛いよというと傷口をペロペロと舐めてくれた。

 

何回本気で噛まれたかも覚えてないが、10回以上は軽く噛まれていたと思う。

今でも腕にその傷は残ったままだが、どうせなら一生消えないでいてほしいと思う。

意外と僕は重い人間なのかもしれない。

 

毎日帰宅すると足元にやってきて、

足のにおいを嗅いだらそそくさと家の中をテクテク歩き回っていた。

可愛いので追いかけたあとにあぐらをかいて座りこむと、

膝の上に乗っかってくるので少し撫でてからなでるのをやめると、

まだ続けてと手招きをしながらこちらをずっと見つめていた。

それがたまらなく可愛かったのでいつもそれを繰り返していた。

ある日はそのまま膝の上で寝てしまったり、

ある日は途中で飽きてどこかへ行ってしまったりしていた。

 

新しいおもちゃを買ってくるとすぐに飛びついてしばらくアグアグした後に、

投げてとこちらまで持ってくるので投げるとおいかけていき壁に激突しながら咥え、

こちらまで走ってもってきたり、

そのままその場でアグアグしたり、

30分で飽きたりして、そのままボールをストンと落として他のことを始めたり、自由だった。

自分の手が届かないところにボールが入るとこちらを見つめて、

ねぇ、入っちゃったから取ってという顔でこちらを見つめ、

手をつっこむと一緒になって顔を突っ込んでいた。

 

しつけというしつけをほとんどしなかったので、

いうことを聞かずに自分でやりたいことをやる姿がとても好きだった。

 

夏の暑い日は2階の廊下が風通しが良かったのでよく階段の上のところで寝そべっていた。

僕が自分の部屋のドアを開けるとよくついてきた。

そのまま布団の上で寝っ転がり掛け布団に顔を突っ込んでグリグリして、

そのままパタッと寝転んで寝るのかと思いきや突然スクッと立ち上がり、

また廊下へ戻って行く姿を見て、よくそのまま追いかけて一緒に廊下に座り込んでいた。

今思うと犬がすりよってくるというより僕がいつもすり寄っていたと思う。

昔占い師にペットや子供を心の拠り所にするタイプと言われたことがあるが

まさにそうだなと今思う。

 

2年ほど前くらいからか、

ボールでもほとんど遊ばなくなり、

散歩もトイレが済んだら家のほうにすぐ向いて帰るようになり始めた。

昔は散歩中に僕が走り出すと一緒になって走っていたが、それも無くなった。

いつしか唸ることも無くなり、昼間はずっと寝てばかりになるようになってきた。

そろそろ歳なのかなと思っていると、

ここ半年くらいか、名前を呼んでも反応することが減ってきていた。

ほぼ目の前で名前を呼ばないと反応しないくらいになっていた。

 

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散歩中もよく足がもつれたり、

玄関の自分の背と同じくらいの段差をジャンプするのも時間がかかるようになっていた。

そろそろかなと思っていたが、23日の夜に散歩へ行き、トイレを済ませて帰宅し、

次の日の朝ご飯をあげ、そのまますぐに眠ってしまい、

僕はそのまま出掛けていったところ

家族からちょびが死んじゃったと連絡があり、

 

すぐに帰ろうと思い帰宅したが、

家族はそそくさと動物霊園の人に火葬の手配をし、

預かってもらった後だった。

最後亡くなった姿を見ることはできなかった。

それがとても悔しくて、ロクに散歩もいかなかった家族を少し恨んだ。

とはいえ犬の腐敗は早いので、早いうちに引き取ってもらったのだろうし、

リビングに長い間遺体をおいておくのも家族としても悲しかったのだろう。

 

テーブルの斜め後ろに犬小屋があったのだが、

それももう外に出して、小屋があった部分はキレイに掃除されていた。

今日朝ごはんを食べているときに、

小屋があった場所からカシャンと小屋を叩く音がした気がして、

振り向くとただの壁と床だった。

その時に改めてもう会えないんだなと強く認識した。

ご飯が涙でボタボタと濡れた。

 

僕は家族とあまり仲が良くないので、

兄から遺体の火葬場や埋葬先だけ亡くなった日にきいていたので、

一人で霊園に連絡を取り、火葬の時間を聞いてかけつけた。

他の遺体との合同火災だったので、最後に遺体に一目会いたかったが、

無理なものであった。

 

愛犬の遺体の焼ける匂いを嗅ぎながら最後の別れを告げ、

帰宅した。

 

そのまま眠りこけてしまったのだが、

夢でもう一度ちょびが出てきた。

夢の中でももう死んでしまったよと聞かされたが、

外を歩いているとちょびがこちらに向かって走ってきた。

見た目が少し幼くなっていたりと違っていたが、ちょびだとすぐに分かった。

 

そのまま連れて家に帰り、なんだ大丈夫だったんだと言うと

撫でてくれと、そのまま目の前で寝転ぶので撫でていると、

ほどなくして急に体が冷たくなり、目の前で亡くなった。

死に目にあえなかった後悔として、

最後に体を触ることができなかったのがとても悲しかったからか、

最後のお別れを言いに会いにきてくれたのかもしれない。

目が覚めると目が真っ赤になっていた。

 

明日の午前中に納骨をしたら、墓前にお菓子をお供えしに行く。

狭山湖動物霊園という湖畔の近くの山の中の墓地に眠ることになる。

芝生のキレイな静かな墓で

生前は他の猫や犬たちとほとんど仲良くすることが無かったので、

これからは仲良くしてもらえたらいいと思う。


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色々あり写真を仕事にしました。

タイトル通り。

基本的に仕事では物撮りばかりをやっています。

今の会社ではスタジオを空き時間は休みの日は好きに使っていいのですが、事務所を変更する為、

次の会社ではそこまで自由に使えないので、転職前に記念にモデル撮影を行ったのである。

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特に何も用意せずにスタートしたのでなぁなぁであったが何枚かいいのが撮れていたので満足である。